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1/16(土)Walkin’About @平野

1/16(土)Walkin’About @平野

次回のWalkin'Aboutでは、大阪の平野を訪ねます。歴史の深い町です。

自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき「Walkin’About @平野(大阪市平野区)」

 開催日:2021年1月16日(土)
 集合時間・場所 14:00 @JR平野駅改札
 再集合時間・場所 16:00 @同上  参加無料 

 摂津国住吉郡杭全郷の東部にあたる平野は、難波京と斑鳩・平安京を結ぶ渋川道(のちの竜田越奈良街道)が通り、後には中高野街道の起点にもなっていました。
 平安時代初期には坂上田村麻呂の次男・広野麻呂の荘園があったことから、「平野」という地名は「広野」からの転訛によるといわれています。862年(貞観4年)には広野麻呂の子の坂上当道が八坂神社を勧請して杭全神社が創建されています。荘園はその後宇治平等院へ寄進され、平等院領となりました。
 1127年(大治2年)に大念仏寺開基を機に門前町が形成され、戦国時代には町の周りには二重の濠と土居を巡らされ、出入口には門と門番屋敷が設置され、自治都市として力を持ちましたが、織田信長に屈してその直轄地となり、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、町の有力商人は大坂城下へ移住させられました。大坂の陣では七名家の筆頭とも言える末吉氏が徳川方に尽力し、平野に徳川秀忠の陣が設けられました。
 1615年(元和元年)、平野および河内国志紀郡・河内郡の代官に任ぜられた末吉氏は、大坂の陣で灰燼に帰した平野の復興を行いました。また度重なる洪水に見舞われた志紀郡柏原村の復興の一環として、1636年(寛永13年)に柏原村と大坂城下を結ぶ柏原舟が平野の環濠と連結する平野川に通うようになりました。平野は1671年(寛文11年)には馬継場にも指定されて水運・陸運双方の恩恵を受けるようになり、河内木綿の集散地として発展しました。

 大阪市編入は1925年(大正14年)。1930年(昭和5年)にスタートした土地区画整理事業により周囲は宅地化され、環濠の大半は埋め立てられました。現在は平野区の中央部に位置し、東西に国道25号や柴谷平野線(南港通)が通り、公共施設や商店街、大型店舗などが立地する利便性の高い地域となっています。近年は大阪市のHOPEゾーン事業によって平野郷の景観復元や文化保存などの取り組みが行われています。
今回は、そんな平野を探っていきます。

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“Walkin’About”は、参加者の方々に思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。
参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験をシェアします。

【主催・お問い合わせ】 大阪ガス㈱近畿圏部 都市魅力研究室 担当:山納
 Tel 06-6205-2366 
http://www.toshimiryoku.jp

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